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『転載による現代詩』『クロラ』『小倉拓也』

2009-04-28

レーモン・ルーセル「アフリカの印象」岡谷公二訳 「訳者解説」より

02:45 | レーモン・ルーセル「アフリカの印象」岡谷公二訳 「訳者解説」より - 『転載による現代詩』『クロラ』『小倉拓也』 を含むブックマーク はてなブックマーク - レーモン・ルーセル「アフリカの印象」岡谷公二訳 「訳者解説」より - 『転載による現代詩』『クロラ』『小倉拓也』 レーモン・ルーセル「アフリカの印象」岡谷公二訳 「訳者解説」より - 『転載による現代詩』『クロラ』『小倉拓也』 のブックマークコメント

「マーシャル〔=ルーセル〕は文学上の美についてきわめて興味深い観念を抱いている。作品は、現実のものは何ひとつ、まったく想像から生まれた組合わせのほかは、世界と精神についてのいかなる観察も含んではならない、と言うのだ。」

 ジャネが書きとめているルーセルのこの特異な文学観は、このような方法の内的契機を明らかにする。

(中略)

神経症という関係しか結ぶことのできなかった現実に対して、ルーセルは深い怖れと嫌悪を抱いていた。その現実拒否は、嫌いな食物を決して口に入れまいとする幼児の、やわらげようのない頑さを思わせる。それは、治そうとする気持ちをはじめから捨てずにはいられないほどに重い、不治の病である。この拒否をバネにして、現実を超越する以外に、彼には行く道がない。

 言葉が現実と対応関係を持つことをルーセルが嫌うのは、かくして当然のことである。そうなれば、言葉は汚れ、醜くなる。彼に残された唯一のチャンスである言葉を救い出すため、彼は言葉の中にとじこもり、言葉そのものの運動にすべてを委ねる。ルーセルの方法とは、半ば遊び――死に至る遊び?――のように見えるけれども、このように、外見よりはるかに切羽つまったものなのである。

(中略)

 「私にとっては想像力がすべてである」と書いたルーセルは、当然、想像力の機能と生理を熟知していた。想像力という荒馬を野放しにするならば、堂々めぐりをするだけで、なんの役にも立たないことを彼は心得ている。馬銜を食ませ、鞍を置き、拍車と鞭で鍛え抜かなければならぬ。つまり想像力には、抵抗と束縛が要る。さもなければ、それは、どんな深みにも達しないし、どんな火花も発しない。ルーセルにとっての方法、および規則とは、この抵抗と束縛の役割を果たすものだったと考えられる。

 ルーセルは、束縛からの解放を欲求するより、解放されるために、まず束縛されることを必要とする人間である。正確さ、厳密さ、規律正しさ、秩序、規則性、――これは、彼の作品と生活を支配する大きな特徴である。その点で彼は、自身もそう信じていたように、あきらかに古典主義の側に立つ作家であった。

(中略)

 私たちは、この世界の中で生き、呼吸することができる。しかし、そこで生きようと望んだのは、誰よりもまずルーセル自身だった。作品が現実性を獲得するとは、彼にとって、単なる欲求以上に、当為だった。なぜなら、彼には、作品の世界以外に、ほかに生きる世界がなかったのだから。

J.D.サリンジャー「エズミに捧ぐ」野崎孝訳より

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 エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、あらゆる機――あらゆるキ―ノ―ウ―がだ、無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。