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肉芽観察現代詩 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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肉芽観察現代詩手帖

肉芽観察記

詩inはてなハイク

2009-05-09

女子のいじめは洒落にならない

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ビッチなぞ死んでしまえと思う俺だが(やらしてくれるなら別)、非モテ女子には非モテ男子よりもより深く感情移入してしまう。

 

非モテといっても男子のそれとははるかに比べ物にならぬくらい、彼女らの置かれた境遇は、地獄すら生温いと言わざるを得ない。

 

男から邪険に扱われるだけではない。

女からも侮蔑され苛め抜かれるのだ。

 

男ならオタクになったり趣味に没頭すれば、同性の仲間はすぐに見つかる。

女はそう簡単にはいかない。

同性間の複雑なカーストに組み込まれた不可殖民として生きざるを得ない人もいるのだ。

知り合いの女性詩人に言われた一言が忘れられない。

 

「女は男がプライドの担保だから、それが無くなったらなにもないよ」

 

酷過ぎる。

 

 

 

なぜ俺がこれほどまで非モテ女子に感情移入するのかわからぬ人が多いだろう。

俺は間近で苦しむ彼女たちをあまりにも多く見すぎたのだ。

中学のとき、酷いいじめを受けていた女子を何とか救おうと、孤軍奮闘したが、ほとんど何も出来なかった。

肉体的な暴力の問題なら簡単に片付く。

割って入って殴るか蹴るか、平手でもかませば雑魚は散る。

しかし、精神的なものには手の出しようが無い。

「シカト」に抵抗することなどできるだろうか?

彼女は結局転校して行った。

そのときにいじめていたはずの女子が涙を流していた。

吐き気がした。

涙を流せば罪が許されるとでも言うのだろうか。

許さない、許されるはずが無い。

 

俺は呪う。

全身全霊全知全能をかけて呪う。

呪いは確実に効く。

呪いミームよ、世界中を駆け巡れ。

人を呪うものは呪われる。

上等だ。

俺は穢れそのものとして生き延びる。

宇宙を俺の支配下に治めるまで、死んでも消えぬ。

怨霊と化し、災いを為してやる。

 

 

 

ナモ大暗黒天!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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2009-05-07

超現代詩

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http://www.mbga.jp/

http://b.chip.jp/

http://real.crooz.jp/

 

現代詩というなんだかよくわからないものが詩のすべてだと勘違いしてはいけない。

人が言葉を持ったときから詩はあらゆるところにあり、その呼び名を変えようとも詩が詩であることにはかわりはない。

 

俺は括弧つきの「現代詩」を好まない。俺は詩が好きなのであって余計なものをくっつけて現代だの近代だの和歌だの叙情だの叙事だのいうのが非常に気に入らない。

名前なんかどうでもいいのだ。

俺が詩だと思ったものが詩だし、あなたが詩だと思って読み書きするものが詩だ。

 

ところで自分が居るところを詩の最先端などと思っている観測範囲の狭い人がたくさん居るが、冗談ではない。

世界は広いしWEBも広いし、携帯サイトというWWWとは少しばかり次元のずれた奇妙進化を遂げた興味深い宇宙があるのだ。

 

携帯サイトで書かれる不可思議文字列を眺めると、俺は眩暈すら感じる。

シュールレアリスムなどと偉そうに看板を掲げずとも、素で異次元の表出行為を交わす生き物がいるのだ。

彼らの書き記す謎の文様は、俺が脳みそこねくり回しても書けないし、あまり積極的に書こうとも思わないが、単純に面白く読める。

 

愉快なことだ。

俺は長生きしたいと心のそこから思う。

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2009-05-04

比喩について

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比喩というと凄まじい数のレトリック論が見つかるのだが、詩人の書いた比喩論レトリック論は読むだけ無駄だ。

あまりにも程度が低すぎて、余計に頭が混乱する。

言葉は比喩であると断じたのはショーペンハウエルだが、考えるまでもなく言葉というものは「そのもの」を指し示しているわけではないのだから当然のことだ。

さて、メタファー、シネクドキ、メトメニー、シンボル、イロニーアレゴリー、等等、その比喩についての名付けも数限りなくあるが、俺は断言する。

すべての比喩は隠喩と換喩に還元することが出来る。

これはフロイトの夢の作業の「圧縮と置換」のことであり、数理論理学の「統合配列」とも呼びかえることが可能だろうが、そもそも人間精神活動そのものが「隠喩と換喩」に支配されているのだ。

「心のままに」というものがどれほど複雑なものなのか、多くの人は知らずにすごしているし、そのほうが無駄な苦労を背負うことはないのでそれでいい。

が、仮にも詩人を名乗るのならば、その「心のまま」を直視し、比喩を超えた「そのもの」を産み出すくらいの気概が欲しい。

俺はそれを目指すために、レトリックやテクニックなどというものは全力で無視することに決めた。

俺は気合と勢いで詩を産む。

小手先の技術などはったりにもならないのだ。