2009-05-20
傍観者
散文 |
サイレントマジョリティーという言葉があるのだが、意味は良くわからない。
サバルタンの反対のようなものだろうか。
ともかく、多くの沈黙する人たちのことを考える。
そこいらで紛争がおきようがエイズが蔓延しようが、新型インフルエンザで国民の三分の二が死んでしまう可能性があろうが、地雷で足を吹き飛ばされる子供たちがいようが、全力で見て見ぬふりが出来る人たち。
俺は素で思うのだが、彼らのことを「強いな」と感じてしまう。
俺は繊細(笑)なので、一度目に入ったら気になって気になって仕方がない。
もちろん俺が気にしたところで、俺は政治家でも富豪でもないので何も出来ることはない。
せいぜい赤い羽根募金に500円玉突っ込んで羽はそこいらに捨てるというよくわからない偽善的行為をするぐらいだ。
俺は100円ショップでものを買うときにも、工場で非人間的な生産過程に組み込まれて低賃金で働く人々のことを思わずにはいられない。
俺は賞味期限切れ近い惣菜パンを半値で買うとき、パン工場で何の希望もなく延々とライン作業をする人々のことを思わずにはいられない。
深夜の道路工事、真夏もしくは真冬の旗振り、金属加工工場で両指をすべて切断された古い友人etc.
彼らのことは俺にとっては他人事ではない。
プラスチック工場の夜勤で頭がおかしくなりそうになり、脳内で壮大な物語を構築し、そのすばらしさに涙を流しながらバリ取りをしていたのが俺なのだ。
パン工場で働くとき事前説明会で「たまに指ちょん切られる人がいるから気をつけてね(笑)」と説明責任者に言われ唖然とし、実際にローラーに指を巻き込まれ指が引きちぎられそうになったのが俺なのだ。
ドカタのおっちゃんが砕石に飲み込まれて下半身不随になったり、弟の友人がユンボのキャタピラに踏み潰され、足から腰まで滅茶苦茶にされた、そんな話ばかり聞かされるのが俺なのだ。
スルー力。
そんな言葉を作り啓蒙しなくとも「まっとうな人々」は生き延びる作法として自然にそれを身につけている。
大いなる沈黙者たちよ。
滅びを見守る冷徹な眼よ。
たったひとつの冴えたやり方
散文 |
うだうだぐだぐだと30年も頭をこねくり回していろいろと考えたのだが、生きてゆくうえで、これだけを守っていれば、そんなに悲惨なことにはならないだろうということがある。
それは、
「正直に生きる」
ということだ。
外面を取り繕ったり、小賢しく自分が損しないように立ち回ったり、おいしい思いをしようと小手先のテクニックばかりを磨いたり、そんなものはどうでもよいのだ。
気に入らないことがあれば気に入らないといえばいいし、いやなことにはいやだといって拒否すればいいし、好きな人には好きといえばいいし、率直にモノを言って生きればよいのだ。
近視眼的に見れば、細かい軋轢や失敗や損失を蒙るかもしれない。
しかし、大局を見れば、それなりに充実した人生を歩めるように思う。
俺は敵もおおいが、それ以上に信頼する友がいるのだ。