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肉芽観察現代詩 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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詩inはてなハイク

2009-05-16

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戦後日本こそが、レイシスト国家としての一つの完成形態

http://watashinim.exblog.jp/9727044/

この文章がすごいのは、一目瞭然ではあるが、新自由主義者について労働者人間ではなく単なる数字として見ていると批判しながら、新自由主義者顔負けの冷徹さで、外国人労働者の生活により「国民」が被るという被害「コスト」(しかも外国人にとっては生活権レベルの)を挙げていく点にある。

そもそも、現在日本は、外国人労働者抜きには経済にせよ社会にせよ成り立たなくなっているのだから、受け入れに賛成か反対か、という選択肢自体が虚構である。こうした主張は、森永だけではなく、最近では萱野稔人がその典型例であるが、少なくとも森永や萱野がこうした主張をするならば、現に今、日本にいる外国人労働者はどのような処遇がなされるべきかも同時に明らかにしなければならない。そうでなければ、こうした言説は、外国人労働者への排外主義を後押しする機能しかもたらさないではないか。

また、自国の資本第三世界に進出し搾取していることを放置している、あるいは抑制できない状態でいるにもかかわらず、第三世界外国人が自国に入ってくるのを拒むのは道理に合わないだろう。第三世界人間からすれば、現地経済破壊しておきながら、入国は拒むというのは手前勝手にもほどがあるとならざるを得まい。上の記事中の森永の、「何の関係もない国民」などという規定は馬鹿げている。「何の関係もない」どころか、自国の多国籍企業海外進出を容認しているという、国民としての政治責任を負っているではないか。そうした多国籍企業法人税によって、福祉体制その他の恩恵を被っているという点だけからも、「何の関係もない国民」などとは言えるはずもあるまい。

そこで引用したフランス国民戦線ナンバー2であるブリュノ・ゴルニシュ(Bruno Gollnisch)の「私たちは極右でも何でもない。日本のような移民政策を理想とするだけなのです」という言葉に示されているように、戦後日本こそが、レイシスト国家としての一つの完成形態なのであって、外国人労働者の流入を可能な限り阻止するか、入国を認めても労働者としては法的にグレーゾーンの状態に置くという形でやってきているわけである。森永や萱野のようなメンタリティ連中がそうした施策を支えてきた(いる)のだ。そして、その結果が、先進国中でも(しかも、この巨大な経済規模で)極端に少ない外国人労働者人口比率であり、人種差別禁止法の不在等に見られる、外国人差別がさして問題とされない社会環境である。国家レベル排外主義を行なっていた(いる)からこそ、人種主義団体の運動が活発でなかったというだけだ。仮に人種主義団体の活動が盛んであったとしても、多くの外国人の居住と生活が認められている社会の方が、はるかにまともなものであることは言うまでもない。そうでないと言う人間は、日本人以外の人権考慮しない、世界経済の安定性すら考慮しない、レイシスト保護主義者であると見なさざるを得ないだろう。

森永の口調や視線は、冷徹な新自由主義者が、恐らく日本貧困層に対して抱いているものそのものだ。違うのは、さすがにここまで大っぴらには新自由主義者も言えないが、外国人労働者には言ってよいことになっているらしい、という点である。

また、森永は「護憲派」であるが、森永の語る平和主義の前提になっているものは、「何の関係もない国民」などという、国民を<無垢>なものとして描く表象、「一人一人がやさしい心を持っていて、相手を傷つけないように気づかい、みんなが幸せになれるような思いやりを持った文化というのが、一つ一つのものに込められている。それが日本なんだというんです」(『年収300万円時代 日本人のための幸福論』186頁、強調は引用者。なお、これは小泉八雲の発言を紹介する文脈で用いられているが、森永小泉八雲見解はここでは一体化している)という表象である。森永において、外国人(恐らく<新自由主義者>も)は、こうした<平和>で温かい日本社会を崩す輩として認識されている、と思われる。森永の掲げる<平和>は、金玟煥(キムミンファン)氏が言うところの「脱文脈化された平和」である。

森永を、私たちは、レイシスト保護主義者の典型として位置づけることができるだろう。レイシスト保護主義グループは、<平和>な日本社会を「新自由主義」または「外国人」から守らなければならない、という衝動を基底に置いている。その「<平和>な日本社会」なる表象が、ある者には「日本国憲法が守ってくれた平和」であり、ある者には「日本伝統の淳風美俗」と映っているのだ。確かに、「右」も「左」も関係ないのである。

森永のような立場の人物を護憲派というのは、したがって、ある意味ではミスリーディングである。森永護憲論を根底から規定するのは、平和主義それ自体よりも、先進国家の国民としての生活水準を「保守」したいという情念であるのだから(ついでに言っておけば、先進国国民としての生活水準を「保守」するためには、対テロ戦争継続的に参加する必要があるのだから、森永流の、現状維持のための「護憲」論は、大衆的には何の説得力もない)。

だが、むしろ、以下のように問うた方が有益であろう。そもそも戦後護憲派の主流というのは、森永のようなものだったのではないか、森永は、その調子のいい性格とあいまって、時勢に乗って護憲派の本音をあけすけに喋っているだけなのではないか、と。

http://d.hatena.ne.jp/tzetze/20090515/1242374084

俺は死んでも戦場には行かない

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第5回DAYS国際フォトジャーナリスト大賞

http://www.daysjapan.net/taishou/index2.html

立ち読みしてきたが、吐き気がした。

「真実」の名のもとにセンセーショナルなものを見せびらかすのがジャーナリズムなんですかね。

「真実」の名のもとに極限状態にある人モノ状況を撮って見世物にするのが写真なんですかね。

いつもいつもこんな写真ばかりがクローズアップされて、もはや不感症になってんだよ、こちとら。

俺はフォトジャーナリストを名乗る人よりはパパラッチ尊敬するし、抜けもしないヌード写真を撮るやつより、アイドルグラビア写真家技術審美眼を信じる。

俺は「正義」だの「真実」だの言われると虫唾が走るんだ。

俺は死んでも戦場には行かない。

面白いものはそこいら中に転がっているんだ。

俺は俺の生から切り離された特殊状況に身をおくことを避けるし、平々凡々たる日常から普遍的なものを見つけ出すのが表現者としての俺の役目だと思っている。

lyricistlyricist2009/05/16 22:19きっと賞をもらった人達は「素晴らしい」写真が撮れた、賞ももらったと喜んでいるのでしょう。
馬鹿げています。
何が馬鹿かって報道精神そのものです。
凄い=素晴らしい、という発想です。
浅はかな人間ほど凄いものは素晴らしいと混同して考えていますが、
大半のジャーナリストはこんなもんなんでしょう。
事実だけを伝えるのであるならば、航空写真や素人撮りで良い筈です。
つまり、順位を付ける必要はない。
この賞の順位のつけ方は商業的な受けの良さを中心にしていると感じました。
商業的である事が悪いとは考えていませんが、人間の不幸を単に不幸としか撮れず、それを見た者が暗い気持ちになるならば商業としては失敗だと思います。
自分は商業っていうのは人を幸せにしてこそ、その対価を得られると思ってるんですが、自分のことしか考えていない人間が多くて嫌になることがあります。

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