2009-05-04
比喩について
散文 |
比喩というと凄まじい数のレトリック論が見つかるのだが、詩人の書いた比喩論レトリック論は読むだけ無駄だ。
あまりにも程度が低すぎて、余計に頭が混乱する。
言葉は比喩であると断じたのはショーペンハウエルだが、考えるまでもなく言葉というものは「そのもの」を指し示しているわけではないのだから当然のことだ。
さて、メタファー、シネクドキ、メトメニー、シンボル、イロニー、アレゴリー、等等、その比喩についての名付けも数限りなくあるが、俺は断言する。
これはフロイトの夢の作業の「圧縮と置換」のことであり、数理論理学の「統合と配列」とも呼びかえることが可能だろうが、そもそも人間の精神活動そのものが「隠喩と換喩」に支配されているのだ。
「心のままに」というものがどれほど複雑なものなのか、多くの人は知らずにすごしているし、そのほうが無駄な苦労を背負うことはないのでそれでいい。
が、仮にも詩人を名乗るのならば、その「心のまま」を直視し、比喩を超えた「そのもの」を産み出すくらいの気概が欲しい。
俺はそれを目指すために、レトリックやテクニックなどというものは全力で無視することに決めた。
俺は気合と勢いで詩を産む。
小手先の技術などはったりにもならないのだ。
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